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  • 執筆者の写真小林大賀 Taiga Kobayashi

祭太郎さんインタビュー(後編)

更新日:2023年9月27日

アートのセラピー的側面の研究のために行ったインタビューシリーズ。

※この活動はHAUS(Hokkaido Artists Union Studies)サバイバルアワードの支援を受けて行われました。

祭:祭太郎  小:小林大賀  羊:羊屋白玉



風のかみさま 

サイズ:900×600mm 素材:木パネル、アクリル絵具 制作年:2019年


心と体の関係


小)一昨年、原因ははっきりとはわからないけど、抑うつになり。

中年の危機というものなのかなんなのか。幼児期のトラウマが、とかそういうことなのか。本を読むように明確にはわかりませんが、これちょっと危ないなという時期がありました。それで、20代のころ東京のお寺で習った瞑想を最近また習慣にしたりして。今日も背中のコリとか治してもらったところですけど、ネガティブな感情と体の緊張とがひとつひとつ関係しているなと思い。この心臓のあたりからの緊張は悲しみと関係していて、首から顎までのつっぱりは怒り、背中の張りはたぶん恐怖、とかそういう感覚があって。心と体って言葉としては分けて使っているけど、どこまで切り離せるんだろうという疑問があります。最近インタビューした劇作家の人が、あるダンサーから「体と精神を切り離して考えることが狂気の始まりだ」と言われて衝撃だったと。祭さんは精神と肉体ということに関してどのように考えていますか。短いインタビューで答えられるようなものではないかもしれませんが。

祭)受け身パフォーマンスをコンクリートの上でやってみるというのは、ぽっと浮かびました。そして人前でやってみたんです。やっている間はアドレナリンが出ているから興奮状態ですが、やる前は「大丈夫かな」という不安で体が緊張するじゃないですか。それが反動で、ばーっと解放されたような「もうなにもかも最高」という状態になって。それはたぶん、生命が危機的な状況だったから(笑)。

でも終わった後、めちゃくちゃ体が痛くて痛くて。本当に1週間くらい寝込むんですよね。体がバンバンに腫れて。

何回も何年もやると体が慣れてくるんです。なんていうのか、自分はそれを「体が出来てきてるのかな」って勘違いしてました。どんどん硬くなっていくんですよね。身体に緊張をどんどん入れていく状態っていうか。小さい交通事故を何回も繰り返してるようなもので。そうすると、今はだいぶ取れてきてるけど、緊張をほぐすために無意識的に食べて。20代、急に体重増えたり、それを繰り返してました。

あとは、お酒を飲むこと。お酒飲むと血流が良くなって身体が緩むから。でも、歯止めが効かないですから。それでも体は緩ませたいから、暴飲暴食するんですよね。そういうのを、今思うとずっとやっていましたね。だから感情が、天気でいうと台風みたいのが来た時には、無意識的に食べたり飲んだり。

渦中にいると気がつかないけど、今も自分でやってるんですね。そうすると肉体と精神、分けられないですよね。

それはずっと意識してます。認識して10年くらい経ちますけどね。でも、何も勉強しなかったら思いつかない、ただ悩みのままです。

何も勉強しないで「自分だけの悩みを一生懸命解決しよう」という方向に集中せずに居たからよかったのだと思います。アート作品作るとか、別のことがいっぱいあったから。

それを達成するために日々の暮らしがあった。自分に集中すればするほど、自分を痛めつけたり緩ませたり、一生懸命やってたとは思うんですけど。たまたまパフォーマンスを笑ってくれる人たちがいたりとか、外にたくさん興味を持ち出したので。鍼灸もそのひとつですけど。精神と肉体の関係は、なんというかスレスレですね。良い状態、悪い状態を行ったり来たりする。


小)現代人の生活って情報量が多くてずっと頭動かしてないといけない。

それが当たり前の時代に生まれているけど、もっと健康的なバランスってあるんでしょうか。

祭)健康的なバランス、、、それは難しいですね。自分で納得してやることだったら良いんと思うんですよね。

人のことを素直に聞く性格もいいんだけど、自分の言うこと以外聴かない、っていう性格もちゃんと育てる。

自分で意思を持って自分で選択する。それをしないと何かあったときに、ピンチの時に、自分で自分のこと助けられるのかなと。それは自助という意味じゃなくて、日頃の基本的なことだと思うんです。難しいことじゃなくてね。

子供を見てると、好き勝手自分でやりたいことやってる状態。やりたいことやると、ものすごく健康になるのかなって。調子悪いとそのことも浮かんでこないから、難しいですけどね。それは、自分で自分の処方箋つくっていくしかないというか。作ることを喜びとしてる人はいいけどね、わからない人にとっては苦痛でしかないから難しいですけど。僕も多かれ少なかれ不安的な状態というのが人並みにあると思うんです。だから言葉を探したりとかするし、人の言葉聞いたり読んだりして一瞬緩ませたりとかしてるので。明確な答えっていうのはね。。。


気とメディアとアートについて


小)いえ、一問一答みたいなものではなくても良いんです。

ちょっと話がずれるんですけども、かなり前に野口体操の後継者の片山洋次郎さんの本を読んで、印象に残ってる言葉があり「気」ていう概念を外国人に翻訳して説明するのに、どう訳すかっていう話題で。だいたいみんなエネルギーとかって訳すけど「僕(片山洋次郎)はメディアって訳して使っている」という話で。

そうすると一気にアート的なことにつながる気がして、最近思い出したんです。

Art Alertに載っている祭さんのインタビューを読んだのですが、その中で「外側内側のものを咀嚼して、吐き出して、さらに飲み込む」とおっしゃっていて、気とかメディア的なイメージで眺めているのかなと思いまして。アート主義、作品主義というより、もっと広い視点で感じてらっしゃるのかなと思ったんですけど。

祭)そうですね。。。まずは、そういう読み取り方するのが好きだっていうのがあるんですよね。

一元的に物を見るということが、好き嫌いはっきりさせるのがもともと嫌いっていうか、どうも無理なんですよね、小さい時から。言い切ったりとか、何か自信をもって差し出すものっていうのが、ものすごくこう圧力に感じるんです。ファッとこう「ちょうど良いところ」っていう意識が常にあって。今までも、強い言葉にもすぐ反応しちゃって、僕もそっちに行ってしまうことがありました。最近は「ん?ちゃんと聞いてみよう」と。「ちゃんと噛み砕いてみようか。やべえ、誘導されてるな」みたいな(笑)。

それは祭太郎の口上(芸)が、そういう人々を先導するような強い言葉なんだけど、何も言っていないようなもので。それは、日頃ニュースで政治家たちを見ながら「この人らのなにも言ってない感じが面白いな」と思って。

強い言葉でアジテーションしてる感じが、アート的というかパフォーマンス的に見えたので、それを模倣しようかなと。僕に強い主張はなかったけど、この政治家たちにもないんだなと。彼らの人々を圧力で牛耳っている感じが嫌な一方、祭太郎はそれやろうと思っているんですが。それは、知れば知るほど政治の感じが本当そのものだなって思って。口上芸をするのも、そういうのを知れば知るほど躊躇してしまうくらいです。本当、片山洋次郎さんの気=メディアっていうのは、よくわかりますよね。メディア論書いたマクルーハンの「メディアはマッサージである」ていう格言があって。これはどうも誤植だったらしい。「メディアはメッセージである」なんだけど、でも本人が「マッサージである」から直さずに本にしたらしいです。

小)イタコのような人たちのことをメディウムと言ったりもしますよね。画材でもメディウムと言うし。中間にあるものっていうことなんでしょうけど。

祭)中間、確かにそうですね。

気は基本的にはこっちが感じるもので、「ハイ、感じてください」というものではないので。僕はこっちが感じるものだと思う。たぶんその気の深さを感じたいというのは通じる、似てるかもしれないけど。気を感じるためには、いろんな言葉だったり聞くことも必要で。それをフィードバックじゃないけど、治療とか絵を描いたりとか。

僕は基本的にノーアイディアで描くんですけど、ほとんどは描きながら消す作業。どちらかというと描くより消す作業ですね。なんかグッとくる線を残したり。大抵は、あんまり考え過ぎると体が生理的に反応しないのか、あまりグッとこなかったり。自分の中だけのパターンの蓄積なんですけど。今のところやってるのが、絵を描くことと、パフォーマンスと、治療と、立体物つくったり、たまにデザイン的なこともするので、お題を出されて作るものとかもあります。当然ベクトルは違うんですけど、最終的にジャッジするときの気持ちとかはだいたい同じなのかなと思います。技術的なものは違うだろうし、人から見てもそれぞれは全然違うでしょうって思うけど、自分で何かを決断するときにあるイメージというか、イメージを作る前段階、イメージする前に蓄積されている日頃の生活だったり、情報だったり。あるいは自分が感動するものだったり。そういう「残ってる」もの、蓄積してるものが決断するときに影響する。決断するときには思い浮かばないけど、そういうものが影響してるんじゃないかと僕は思っています。精神と肉体分けようがないのと同じで、人間の作業に「分け」は無いというかね。分けようがないのだけど、分けて考えた方が楽だから、みんな分けてる。でも分ける手前があって、それは哲学だったり、思想、宗教的な核、考えだったりを言うのだろうと思います。いろんな宗教を知ってみたいという気持ちもあります。


小)繰り返しになってしまいますが、芸術と治療とか癒し、療法というものは、西洋美術の歴史の中では関係ないものとしてありますけど、シャーマン文化のある土地ではひとつになっていたりする。現代では何でも専門性が高まっていてバラバラになっていく、というのはありますけど、もっと統合的なものがないのかと思い、こうしたリサーチを始めました。こういう人は面白いとか、こういう本はおもしろいとか、何かありますか

祭)いま興味があるのはフーコー。あの人は歴史的な文脈の、例えば西洋医学がいつから誕生してきたのか、とかを調べたりしていて。僕らは、熱が出たら内科とか発熱外来とかに行き、お腹が痛かったら消化器内科に行く、という習慣がある。それはもう無意識で、当たり前のように目が痛かったら眼科に行く。そういうのってつい200年とか。その前は西洋も、もっと呪術的と言うか。

カルテの書き方も今だったら西洋医学は事実しか記述しちゃいけない。それは誰が見てもわかるように書くもの。

腸でも、上行結腸とか下行結腸とか内臓と内臓の間にあるもの、内臓そのものだけじゃ機能しないって考えてて、その内臓と内臓をつなぐものを含めて臓器、という習い方をするんですよ。それは一応西洋医学の勉強を学生時代習ってたんだけど、ミシェル・フーコー的な、もともとそういう分類的なものではなかったっていう事実を知らなかったんです。ただ暗記していたわけです。前提を知ってから勉強するのと、ものの見方が全然ちがうなって。

体って、部分だけじゃ絶対動かないし、生きられない。つながって初めて動脈静脈となる。どことどこがつながりがあるっていうのを認識しないと。それで、分けてくれたことによって、人々もそこにアクセスしやすくなった。

ただ、説明できないこととか、お医者さんも分けてもわからないような症状っていうのもあったりする。それは精神のこの辺にモヤモヤしてるものとか、情報がはっきりしなかった場合。でも明らかに患者さんには症状としてその状態がある。だけどお医者さんからしたら情報にはないことだから、なんとも言えない状態。それは情報が、知識が上がれば上がるほど少なくなって行くんだろうけど。

でも細かく分けてもわからないことが人間や生き物、生命体にはある。そのときにはおおざっぱというか、東洋医学で言うところの。。。東洋医学と西洋医学は全く違う考え方ですから。どうして内臓と心が関係してるんだ、科学的根拠がないじゃないか、とか。今はそうかも知れないけど、前提としてこういうものが成り立ってるんだと知った時に、西洋医学も面白いなと。毛嫌いしていたものがそうじゃなくなりました。

前提や、構造的なものというのは人間が作っているものだから、そういうものを情報として知るのが、今は好きですね。


羊)フーコーのなんていう本ですか?


祭)「臨床医学の誕生」という本です。やっとフーコー。哲学科の人とかは大学で習うと思うんですが。


小)白玉さんからなにかありますか?


羊)アーティストという言葉には統合性があるなって思っていて。あるべきじゃないかっていうのも含めて。ばらばらに分かれている専門家っていうのではなくて、いろいろなものが統合して、いろんな要素が、治療と芸術、もそうだし。他のいろんな要素がいっぱい、要素ゴテゴテになってる人こそアーティストかなって思うと、大体の人はアーティストでいいんじゃないかって思ったりとかして。


祭)そうですよね。


羊)単純に「あ、兼業アーティストですね」って、会社員しながら何か作ってますみたいな想像しかみんなしないけど、もっともっとゴテゴテゴテゴテしてる。何か、専門性って問われるじゃないですか。それって怖いなあと思って。この人とこの人のあいだにこれがあるとか。この人とこの人の間にもこの仕事がないとだめ、とか。どんどんどんどん細かくなって。


小)東京で勉強に行っていたお坊さんが、みんな瞑想の時間が取れないって悩むから、「いや、お坊さんの間では、皿を洗うのも瞑想だと言うんだ」って。分けられないっていうことの一例かと思います。


祭)僕、皿洗い大好きですね。何にも考えなくていいから。最後は綺麗になって行くし。だから家ではだいたい自分が担当しているんですよね。それは「やって」とか言われるんじゃなくて、やってるうちに楽しくなって。掃除も楽しくなって。誰かが言ってたんですよね「それは瞑想に近い」とか。「やりたくない」と思ってるから面白くないだけで。「いや、楽しいよ」と思ってやる。毎日やることだから。やってみたら意外と楽しくて。日々の生活がちょっとずつ前より意識的になってきてる感じですね。だから、みんなしてることって一緒なんですよね。たいがい治療に来る人も、やってることって変わらないんですよ。朝起きて、歯磨いて、食事して、トイレ行って。みんな同じことしてるのに、でもそこに違いが出て来るっていうのが面白いです。

アートやってて、僕は普段の生活が楽しめる。意識を持って「やるんだ!」とかじゃなくて、無意識に、普通に「いやだなあ」とかそんな意識ものぼることなく普通にやれるようになってきました。

今思うと、若い時はいろんなことが本当に分裂してたんですよね。白玉さんの言ったように、統合するっていうのは人間にとってはとても重要なことだなと思います。それは、いろんな人の意見を受け入れて、聞いていて思いますよね。

羊)お皿洗ってる時に、すごく焦ってて、「あれ、今、わたし皿洗ってていいんだろうか」とか思ったり。家のこと「あれ、これしてていいんだろうか」とか、「何か返事することあったんじゃないか」とか「これ、考え途中だったんじゃない」とか。剥がされていくっていうか。瞑想だと思えばいいのか(笑)。そう、分けてるんだと思う。

小)時間を自分の価値観の優先順位で価値づけすることが可能かっていうことですよね。いや、みんなそうやって生きているけど。やりすぎると辛いっていうことなのか。


祭)コツは「運動にする」っていうことですよ。皿洗いもただの運動で、なんてことない。治療も毎回同じパターンでやってるから。最初の頃は考えすぎて止まっちゃうんですよね。でも、運動としてこう絵を描くみたいにやればいいんだ、というふうにやるとできたりします。それは僕の場合なんですけどね、電気の線が混線ていうか、断線しそうな時に繋げる、ひとつの小さなアイディアなんですけどね。そういう小さなアイディアって、生活の中でいっぱいありますよね。

ここにくる方でも、お風呂に入るのも一苦労の人とか、食事も作れない人とか。人によっては生活するだけで手一杯だし。一通りやって会社行ってというのは、かなりの労力だから、みんなすごいです。

基本、それはありますよね。ここに来て治療始めて、皆さんめちゃくちゃ頑張りすぎてるとわかる。弱い人と強い人の差が、あまりに開いてる。強い人はやって当たり前でしょっていう世界にいるから。弱い人が見えないでしょ。

弱い人にとってはその人たちが怖くてしょうがないから、近づいて行けないというか。さっき羊屋さんが仰ったように、その間を繋げるというか「そんな強く全員に当たったら、できる人とできない人がいるんだから」とワンクッション置ける人がいないと、組織的にはその人の良さって発揮できないというか。

会社にいる人たちの「人の愚痴」とか聞いてると。だれかやっぱりクッションを入れる人がいないと辛い。


羊)現代だからですか?どの時代も大変なのか。

私は休み方がわからない。趣味もないし。

祭)僕もないですよ。On/Offのスイッチが。よくわからない。


羊)趣味も?皿洗いは趣味ではない?

祭)うん。あんまり分けないで生きて来たから。だから逆に疲れるのかも知れないけど。急に体壊しちゃったりして。


羊)次の展示とか予定が決まっていますか?

祭)いえ、いまのところは。

ライジングサンまで、ちょこちょこあると思うんですけど。ライジングサンもまったく違うエンターテインメントの世界なので、あそこの世界に入るということひとつとっても、最初のころと今とでは全く違っていて。最初はね、自分でも分けないつもりでいるんだけど、いろんなこと知っていくと、分けがちな自分も認識しています。「エンタメの世界」ということと、高揚してる人たちに向けてのパフォーマンスが、喜びでもあるけど苦痛に近いような、そんな状態が10年くらい続いていて。毎年、それをどう折り合いつけるか、と。まぁ、全部じゃないですけどね。やったらやったで、それは楽しいんですけど。


受け身パフォーマンス


羊)来年、私はライジングサン見に行きます。床に背中をぶつけるっていうのライジングサンではじめたの?

祭)いえ、それはライジングサンの前です。二十歳くらいにはじめて。

羊)そこから見てるの?

小)いえ、僕は実はまだ受け身パフォーマンスは見たことがないんですよ。


祭)あ、そうですか。ライジングはそんなに、受け身とか激しいことはやっていなくて。

太鼓叩いたりとか、ラジオ体操したりとか、盆踊りしたりとか、みんなと和気藹々やるという感じで、賑やかしみたいな。数えて見たら今年で19回目くらいかな。

羊)受け身はどうやったら見られますか?

祭)いや~、最近ね、体が。。。

羊)コンクリじゃなきゃだめですか?

祭)そんなことないですよ(笑)。最近やってないんです。

小)最近、行為と象徴、象徴的な意味ということに興味があって。突然、アイディアとして「受け身」というものがあったんですよね?


祭)当時、プロレスというジャンルが大好きだったんです。プロレスファンなら誰でも経験する「あれは八百長でしょ?」とか、好きなものに対して揶揄されるっていうことがあり。「なんでこう言うんだろう?」というところから始まるんです。プロレスファンってけっこうこれを体験してて。

で、それを払拭したいっていう気持ちから、友達とプロレスごっこしてる時に、ひとり受け身していて。それを見た友達がみんなゲラゲラ笑ってて。卒業して美専に通い、その後、美術家の端聡さんが主宰していたリーセントアートスクール(現:CAI 03/CAI現代芸術研究所)にも入って、あの時に「好きなことすれよ」みたいに言われましたが、「そんな、好きなことって言われても…」ってなりました。チュートリアルっていうのかな、一対一で強制的に掘られるわけです。「お前のやりたいことはなんだ」って。何か嫌でも質問に答えなきゃいけない、という感じでした。

そういうことって初めてだったから、聞かれても全然出てこない。それで、何回か作品作ったんですけど、全く相手にされなくて。でも、もともとやりたいこと、いや、やり残したことがあって。中学の時に、学校祭で「一人プロレス」っていうアイディアを出したのですが、それはやれなかったんです。一人でやるものだから。みんながやるもの出さなきゃいけないから。それをちょっと実現したいなと思って、やってみたんです。一番最初はクラブで、面白かった友達と一緒にやったんですよね。めっちゃウケてくれたんですけど、彼はもうその一回でやめると言い出した。「あ、そうなんだ」と思って。なんか、その友達との青春はそこで一旦終わったんですよね。でも、自分はずっとやりたいなと思いました。それでやり続けて、そのタイミングで端さんがドイツで個展するっていうことで、みんなもオープニングでパフォーマンスしてよ、と言うから「俺も受け身やる」って言って。受け身だけじゃよくわからないし、痛い、怖いイメージがあるから、真逆でかわいいキャラクターとかイメージがないかなと思って、バニーガールが浮かんで、ウサギっていうね。プロレスのマスクは、全部フェイス覆いますけど、顔をくりぬいたらアホだなと思って、顔だけくりぬいた。最初はドン引きした印象を気として感じてたんだけど、最後はなんか拍手してくれました。その後、ドイツの人たちと交流が生まれて、言語が通じないけど、自分のやったことでコミュニケーションできたと思った。その経験が一番大きいですね。「あ、関係ないんだ!」と思えました。




受け身パフォーマンス Galerie XY (ハンブルグ・ドイツ)1998年



羊)「ひとりプロレス」は演劇の畑で、けっこう長くやってた人がいたんですよ。元気かなあ。

とにかくこう、リングに上がるところから、何もない状態で、ロープをくぐるところから。そして相手を見つけ、一人でやる。私はよく見に行ってた。劇団に入っていた人だから、劇をやるんだけど、その後に一人でやってくれる「レイトひとりプロレス」。そっちの方が見たい!みたいな気持ちで。まだやってるかなぁ。同じ世代だと思います。やっぱり何か私は惹きつけられましたけどね。

小)プロレスって格闘技の中でも特殊というか。それを言い当てたセリフが「グラップラー刃牙」という漫画の中にあったんですけど。アントニオ猪木がモデルの猪狩カンジが「お前ら格闘家なんて気楽なもんだよな、相手の攻撃をかわしていいんだからよ」って。あ、プロレスって攻撃をかわしちゃいけないんだっていうことに気がつかされました。

祭)受けるんですよねえ。受け身って、コンマ何秒で宙で受けるっていうね(笑)。いや、すぐ落ちるんですよ。だから、一瞬だけ重力から解放されるみたいな。

小)へえ~。

祭)気にもならないんですけど。写真見てると浮いてるなって。一瞬だから、誰も解放された気分にならないけど、でも、抵抗してもすぐ落ちる感じも、刹那的に面白いなと感じていましたね。

プロレスを見て、プロレス雑誌を見て、とくにジャイアント馬場が好きだったんですけど、「なんだろう、このズレてる感覚は」とずっと考えてきて。その後アートに出会うと、全然言ってることがわからなかった。なんで好きなことやらなきゃいけないんだとか、作るってなんだとか。結局、感覚的なものも好きだけど、理屈も好きなんだなと。

自分の不安的な要素っていうのは、はじめは「伝えたくても伝わらない、このもどかしさ」みたいなこととして経験し、それを意識にあげることなく大人になっていた。だからまずは人に言葉ではなくアクションで伝えて、伝わる感じっていうのが生きてる実感として経験したかったんだろうな、と思います。自分はアートっていうのは目的ではなくて、ほとんど生きるため、死なないためにやってきたって最近は思ってるんですよ。現代アートっていう方法でなかったら自分の特殊な感性は活かしきれなかったかなって思います。特殊というか、まぁ、だって受け身をして、なんだか一瞬自分の全てが晴れた気分になれたので。そんなこと誰も思わないでしょ(笑)。これは発見だったですねえ。発見と同時に体を痛めつけてしまったので、修復するのにめちゃくちゃ時間がかかったりもしました。修復させようとする過程でいろんな術を、アートだけじゃ無理だなというのが出てきたんです。自分の痛みは置いといて、みんな同じような、似たような感性を持ってるなって気づきました。でも大勢では無理だから、対「ひとり」でやることにしました。パフォーマンスでは祭太郎として不特定多数の人にアジテーションというか、世の中的な、こう一種暴力的なことをやってるんだなと。理屈的なことはわからないけど、祭太郎は大声だすことで、体がふっと解放されるんですよね。だから定期的にやらないと、なかなかこう、不安っていうのは取れないんだと、コロナ禍でまざまざと感じさせられました。


RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO (石狩市、北海道) 2016年


小)今回のインタビューのシリーズで、精神科医の人に取材する機会もありました。精神分析とか心理学って言語の世界。だからこそ非言語のコミュニケーション、表現とかアートに可能性を感じるし、本当に言語には限界がある、ということをその先生は言っていました。紹介してくれた劇作家の人とも、トラウマというと大げさな、大きな言葉になってしまいますけど、本当に抱えている葛藤みたいなものって、本人にとって深刻であればあるほど言語化って不可能になってくるんじゃないか、という話はしました。


祭)そうですね、そのバランスじゃないけど、完全な自己否定はだめですし。自己肯定100%でも言語化ができないです。非言語化に行くまでの、なんというか、その間っていうのが一番面白そうな分野な気がしますね。作品を通したりとかして。アートって、一方で権力的な側面もあります。権力好きな人たちにやられそうになったりするので、僕は気をつけてます。

小)それは業界的にっていうことですか?


祭)業界っていうより、作家によって何を目的としているかって違うんじゃないかと思うんですよね。無意識的に。

小)悪い魔術師もいるっていう。


祭)アートって特に魔術的なものであるから。

それは、僕も必要に応じて使おうと思った時に、ある時「あ、俺はこれは無理だな」とか。もともと死なないためにやろうとしてたっていうか、生きるためっていうよりは死なないために納得してやっていたので。僕はそれで自分なりにつき詰めてるというか。だから、アーティストの言葉も面白いけど、その周辺の言葉を聞きながらまたアーティストの言葉を聞くと、「あれ、この人の言葉ちょっと権力的だな」って思ったりします。それは作品と分けなきゃいけないことかもしれない。僕はかつて無目的に作品に接していて、「作品、最高!」みたいな風に接していたので。ワクワクだけじゃないなって今は思います。

羊)どのような評価というか批評とかって、リリースされたものってあるんですか?誰かのレビューというか、作品とかパフォーマンスのこととか。


祭)ないんですよ。それもまたやっぱり自分にとっての弱みだなって。

羊)言葉にできる人がいないのか。美術の中にパフォーマンスアートって、パフォーマンスってもとも現代美術のものだから、絶対西洋の文脈で、もう仲間はアメリカとかにいるはずっていうか。


祭)ええ、ヨーロッパとかには仲間がいっぱいいると思います。


小)祭さんみたいに何かを統合するっていうのは、最高の価値だと思うんですよね、僕は。人間としての完成を目指すっていうことだと思うので。それと文脈にのせるって全く真逆のことじゃないですか?


祭)統合するためには文脈に乗せて、ちがう視点っていうのも必要だなって。僕の作品じゃなくてもいいんですよね。なんというか、人の作品にダイレクトにアクセスするのは難しいので。文脈に乗せてくれるときに、そこにレトリックとマジックがかかるので、それを盲目的に理解するだけ、その価値にのっかるだけ、ということには気をつけなきゃいけない。「これだからいいんだ」って接すると。。。そこまでするには相当好きじゃないといかないと思いますけど。


羊)批評ってやっぱり歴史とかちゃんとわかってる人が、それを舞台にしてこの作家はどうであるとか最初にちょっと語られて、そこから展開するのが読みやすいというか。アメリカとかで見たパフォーマンスとかって、自分のトラウマみたいなものを体使って表現するのをけっこう見てきました。例えばレイプとか、そういう事件について。同じようにそういう記事をどこかで読んで、自分と、この記事の中の少女が居て、というのを引き取って体で何かパフォーマンス、表現する。そのパフォーマンスは、体のこっち側チョコレート、こっち側は生卵みたいなペイントがされているものだったけど。そういうの、なんていうのかな、札幌って批評とか評論・レビューがないなっていうのがあって聞いてみたんです。

祭)何かの翻訳するっていうの、けっこう鍛錬にはなるかもしれないですね。

羊)大賀君が書いたらいいと思う。

小)僕が?

羊)調べ尽くして(笑)。祭さんがどこに行ったことがある、とか。気になったらそこに行くべきです。

私の知り合いでギリシャ悲劇とか、古代の戯曲の研究している人がいて、アクロポリスの丘に必ず行く、事件が起きたところに必ず行く。そこから始めるの、大変だ~っと思いながらも気持ちはわかる。

小)旅先で鍼灸師の方に会ってって読んだんですけど、違いましたか?

祭)はい、当時京都に住んでいて。手に仕事つけたいっていうのと、京都にいて、このまま住んでどうなるかなという感じで過ごしていた時期です。一応、美術家やなぎみわさんのアシスタントやっていました。。僕は技術的になにもないから、雑用とか、ロケ一緒に行ったりとか。他には仏像彩色の仕事かな。


羊)え~!なんの作品のときですか?My Grand Motherとか?

祭)そうそう。やなぎさんがモデルになった作品。あれが最初で。ロケ地コーディネートしたりとか。それがきっかけで京都行って。それでヤナギさんまわりって面白い人ばかりだから、自分が小さすぎて、なにもわからない、みたいになりました。それで、武器持たなきゃだめだなっていう気持ちもあって。プラス、あちこちから良く客人が来てたんですよね。半年インド行って半年東京で治療してる人とか、いろんな生活スタイルがあるんだなと思いました。

一年中仕事しなくたっていいし、手に職があれば自分で決めた時間で仕事をできるんだ、と。

また、ちょうど僕その時アトピーが酷くて体壊していたので、一旦北海道に戻って学校に通いました。結構、その経験が大きいんですよ。京都ではアーティストの交流もあるし、古いものいっぱいあるから、仏像が好きになって仏像や庭ばっかり見たりとか。とにかくずーっとそうやっていたら、自分の存在がなんか「なにやってるんだ」と感じてしまいました。

羊)仏像を前にすると本当、なんかそんな気分になる。何が一番好きですか?私は東寺の月光菩薩。


祭)あ、二月堂の。

羊)あの前で泣く(笑)。

祭)去年行って来ましたよ。

羊)なんか振り付けにも見えるんですよね。


祭)あー、そうですよね。四天王とか。

羊)足の親指ちょっと浮いてたりするんですよね。これ、どういうことなんだろうっていうのとか。あのポーズってなんなんだろうって。

祭)僕、そこにある(写真)、僕が一番好きな仏像はそれです。それは岩手県に天台寺という瀬戸内寂聴さんが住職やってたお寺があります。その仏像はめちゃくちゃひび割れてて、ほとんど流木に近いようなものです。胴体しかないんです。手がないんですよ。鼻もないんですけど、それでもめちゃめちゃいい顔していて。これはなんの像かもわからないらしいです。でも御本尊になっていて、一応、観音ということです。それが好きですね。奈良とか京都はいろんなとこ行きました。円空も好きです。

祭の妖精・祭太郎


1977年 北海道名寄市生まれ


1998年、路上で突然一人で受け身をとる身体パフォーマンスを始める。痛みを含めその様子を撮影、周囲のリアクションを含めた映像作品をギャラリーや美術館などで発表、2002年、とかち国際現代アート展デメーテルに参加したことがきっかけで媒介者(祭の妖精)をコンセプトにした祭太郎というキャラクターで表現を始める。RISHIG SUN ROCK FESTIVAL in EZOの道沿いで応援口上パフォーマンスを19年連続行なっている。2010年より 鍼灸師の免許を取得。北海道鍼灸専門学校臨床センター主任として5年勤務。2015年、合同会社maturi設立、札幌市内に「未来miraiマッサージ・あんま・指圧・はりきゅう」をオープンした。2018年10月札幌市内に「はり・灸・アトリエ 祭林堂(まつりんどう)」を新たにオープン。現在、治療家、美術作家、パフォーマンスなどの活動を行っている。


ダニエル・ジャコビー、荒木悠共同監督が製作した映像作品「マウンテン・プレイン・マウンテン」のナレーションを担当する。この作品は2018年1月「ロッテルダム国際映画祭」にてプレミア上映され、最高賞のタイガーアワードを受賞。5月スイスで開かれた「VIDEOEX」でのグランプリ受賞、6月にはスペイン「FILMADRID国際映画祭」で審査員特別賞を受賞するなど、世界各地の映画祭で高い評価を受けて上映されている。近年は絵画の製作も精力的に行っており2022年、グリッズプレミアムホテル小樽の15の客室とエレベーターホール、計16点が展示されている。


2018年 ロックバンド怒髪天の楽曲「いいんでないかい音頭RSRver.」振付担当

2019年 怒髪天 楽曲「オトナノススメ~35 愛されSP~」、コーラス参加 

2019年 マオイ自由の丘ワイナリー第2回エチケットアワード佳作賞を受賞

2019年 NHK北海道「祭太郎・アイヌ鮭祭り考!鮭が教えるルーツと心」放映         

2020年 祭の妖精・祭太郎のRSR公認LINEスタンプ『ライジングサンロックフェスティバルの神様』発売

2023年 RSR2023応援アンバサダー就任

2023年 空海誕生1250年記念母と子どもと家族の幸を祈るお祭り、ほっと!母フェスタ2023出演

2023年 GANKE FES (新得町、北海道)


はり灸アトリエ祭林堂 https://www.maturindo.com





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