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  • 執筆者の写真小林大賀 Taiga Kobayashi

ホドロフスキーの「サイコマジック」読書録②

ホドロフスキー監督の人生に現れるキーパーソンも豪華。エーリッヒ・フロム(フロイト派の後継者)、カルロス・カスタネダ、アンドレ・ブルトン、etc...


23歳で「アンドレ・ブルトンに会ってシュルレアリスムを救うんだ!」とチリから単身フランスへと渡ったホドロフスキー監督。しかし実際はアンドレ・ブルトンとは縁が薄かったようだ。パリに着いた途端、真夜中に「いまから会えないか」と恋人のような電話をして嫌がられたり、数年越しにやっとのことブルトンの家に招かれた時なんかは、急に猛烈な尿意を覚えてトイレに駆け込むと、ブルトンが大便している最中だった、という噴飯のエピソード。当然真っ赤になるブルトン。そして「聖なる詩人の最も忌むべき姿に耐えられなかった」と、そのまま一目散に飛び出してメキシコ行きの便へ飛び乗ってしまう。


監督の出生地であるチリ。青春時代を過ごしたサンティアゴでの詩人、芸術家との出会いも語られている。まずそもそも20世紀のチリは「詩の国だった」という回想も興味深かった。イタリア映画の名作「イル・ポスティーノ」でモデルとなったパブロ・ネルーダをはじめ、20世紀中頃のチリの五大詩人もそれぞれのキャラクター、作風とともに紹介されている。いい詩人がいた、というだけで「詩の国」ということはできないと思うが、監督曰くチリにおいては「そのへんの酔っ払いが詩人の一節を諳んじているのがあたりまえ」らしい。この時代のチリに生まれ落ちたことがまず自分にとっての最大の幸運であったと述懐している。「チリという国では、17時を過ぎると官僚だろうと誰も彼も別人格になってどんちゃん騒ぎをする。それに地震。いっぺんに何もかもが終いになる恐怖の前提。チリという国全体がシュルレアリスティックな土地だった…」確かに、チリのワインは有名。

ここからは余談だが、知人のチリ出身の若いドキュメンタリー映画監督に「チリって詩の国だって、本当?」と聞いてみたところ、「そうだよ。俺だって詩のイベントひらいたことあるくらいだぜ」とあっさり答えていた。パブロ・ネルーダの詩が土地に沁みているのは革命家チェ・ゲバラが彼の詩を兵士たちに夜な夜な聞かせていた、という南米諸国の独立も背景となっているらしい。


メキシコに渡った彼は「束の間のパニック」という一般人を巻き込んだパフォーマンスを展開する。非劇場空間で一般参加者を巻き込み、役を演じるのではなく、彼ら自身を表現させるというもの。60年代のいわゆるハプニングのさきがけともいえると思うが、このパフォーマンスの中に、すでに後々のセラピー的アプローチの萌芽があったと振り返っている。


明晰夢に関しての記述は多い。夢をコントロールする、無限のイマジネーションを広げる、夢の中での自分の欲望、恐怖に打ち勝つなどなど。しかし、夢の中では死んだと思うとすぐに新たな自分に置き換わる、という経験をもとに「脳は死を理解できない」と悟ったという。彼自身は少年時代より夢と関わり続けていたらしいが、分析的なことは「フロイトから始めてユング~」と王道的で、そのほか夢を操る部族といわれるマレーシアのセノイのことなども引用している。


タロット学者としての著作もあるホドロフスキー監督であるので、タロットの論理を適応させた箇所も多かった。しかし、伝統的な意味での「魔術師」を目指したことはない、というスタンス同様に、タロットによる「予言」はナンセンスだと宣言している。心理学で知られているように人間は予言を実行してしまいやすい傾向をもち、それは自分の望むところではない。クライアントの過去と自己発見の手段としてタロット扱っているとのこと。タロットとはそもそも何ですか?という問いには、「タロットは精神機器である。要約困難なイメージの有機体。人間の最初の視覚言語の一つである」と述べている。また、自分の生活は映画と脚本業で成り立っていて、カウンセリングで報酬はもらっていない、ということも強調していた。カウンセリングの発端は、ある映画の失敗で困窮していた時期に友人の精神科医が「クライアントにタロットを読んでもらえないか」ともちかけられ、渋々はじめたのがきっかけだったという。「はじめてタロットで金銭を受け取ったとき、恥ずかしさで気絶しそうになった」と振り返っている。職業としてのタロット、占いを否定する発言まではないが、タロットを用いるサイコマジックの処方にあたって「無私、無我」の状態が不可欠であり、生計と切り離された前提が重要とのこと。


息子の死から10年以上映画制作からも離れていたホドロフスキー監督。「リアリティのダンス」で家族、「エンドレスポエトリー」で青春を描き、自己治癒を語る。そしてサイコマジック。「芸術は癒すべきのものである」と結論したという。かつての私はシュルレアリストで…という発言からも自身の変化を示唆しているが、それを逆手にとって、サイコマジック(治療へと応用可能な美学、芸術学)は新時代のシュールレアリスムのありかただと言うことはできないのだろうか。ヤン・シュヴァンクマイエルの言葉を借りれば、「まずシュルレアリスムは芸術ではありません。それはある一定の精神的指向であって、1924年のアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム第一宣言』とともにはじまったわけでも、第二次大戦(あるいはブルトンの死)とともに終わったわけでもないのです。シュルレアリスムは錬金術は精神分析と同じように、魂の深みへの旅なのです。けれどもこの二つとは違って、個人の旅ではなく集団的な冒険なのです」

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